Waldoはどこに行く?

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宮澤賢治 春と修羅 「丘の眩惑」

1月6日、賢治は七つ森やくらかけ山の辺りを歩いていた。

「屈折率」「くらかけの雪」「日輪と太市」
これまでの詩と違い、この「丘の眩惑」では、太陽が光り輝くようすが覗える。

太陽を覆い隠していた雲は晴れ、これまでとは違い、太陽の存在感は強くなった。
そして、これまで降っていた雪は、大地を覆い、太陽の光りを受け、照り返している。
雪は解けながらも太陽に負けじと、キラキラと輝いている。
陽の光は強くなり、笹の雪をどんどん融かしている。
その様は、燃え落ちるように。強く、はかなく。

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   丘の眩惑

   ひとかけづつきれいにひかりながら

   そらから雪はしづんでくる

   電(でん)しんばしらの影の藍てん(インデイゴ)や

   ぎらぎらの丘の照りかへし

   

     あすこの農夫の合羽(かつぱ)のはじが

     どこかの風に鋭く截りとられて来たことは

     一千八百十年代(だい)の

     佐野喜の木版に相当する

   

   野はらのはてはシベリヤの天末(まつ)

   土耳古玉製(ぎよくせい)玲瓏(れいらう)のつぎ目も光り

       (お日さまは

        そらの遠くで白い火を

        どしどしお焚きなさいます)

   笹の雪が

   燃え落ちる、燃え落ちる

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宮澤賢治 春と修羅「日輪と太市」

太陽の様子や吹雪の様子を
「日は今日は小さな天の銀盤で雲がその面(めん)をどんどん侵してかけてゐる」
「吹雪(フキ)も光りだした」
と表現するとは勉強になる。

感じたことを豊かに、また、恐れることなく表現するということは大事なことだ。
ほとんどの人は、このような言葉遊びをすることはない。人にどのように見られているのかを気にするのだ。
子どものうちに様々な表現方法に触れて、そこから学んで言葉遊びを楽しむこと。
それが、豊かな心、いや、人としてのセンスを磨くことになるのだろう。
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   日輪と太市

   

   日は今日は小さな天の銀盤で

   雲がその面(めん)を

   どんどん侵してかけてゐる

   吹雪(フキ)も光りだしたので

   太市は毛布(けつと)の赤いズボンをはいた

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宮澤賢治 星めぐりの歌


星めぐりの歌

あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の  つばさ
あをいめだまの 小いぬ
ひかりのへびの とぐろ

オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす
アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち

大ぐまのあしを きたに
五つのばした  ところ
小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて


「赤い目玉のサソリ」とはさそり座の心臓アンタレス。
「青い目玉の仔犬」とは、おおいぬ座のシリウス。
「へびのとぐろ」とは逆S字が特徴のりゅう座。
また北極星は本来こぐま座の尾の先の星である。
α星を眼玉と表現するなど、星座の一般的な解釈とは異なる部分もある。
歌詞は夜の天空の幻想的なイメージに満ちており、文学的な評価は高い。
主旋律は親しみやすい五音音階で構成されており、BGMや様々な派生作品中のテーマ曲に採用されている。
(Wikipediaより)


夜空を見上げる。
この夜空には自分が知るよしもない、なにか強く、遠く、手に入れることができないものが存在しているのだ。
それは、とても温かく見守ってくれているかと思えば、時に冷たく残酷な存在のようにも感じる。
見る人、聴く人の心によって様々な感情を与えてくれる夜空とこの歌。
ああ、銀河鉄道に乗って旅をしたい。

宮澤賢治 春と修羅 「屈折率」

賢治は1921年に花巻を出奔して東京にいく。
そこで国柱会に入門して、法華経の修行を積んだ。
その後、故郷に帰った賢治は、意欲的に創作活動を始める、

賢治は常に自分自身を見つめ、人々あるいは自然を見つめ続けた。
彼の求めたものが何であったかは、多くの詩や童話に残されている。
賢治が生涯をかけ、求め続けたものはなんなのかを読み解いていきたい。

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   屈折率

   七つ森のこつちのひとつが
   水の中よりもつと明るく
   そしてたいへん巨きいのに
   わたくしはでこぼこ凍つたみちをふみ
   このでこぼこの雪をふみ
   向ふの縮れた亜鉛(あえん)の雲へ
   陰気な郵便脚夫(きやくふ)のやうに
      (またアラツディン、洋燈(ラムプ)とり)
   急がなければならないのか
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宮沢賢治詩「序」

既存の枠組みにとらわれず、常識にとらわれず、自身の性質を理解した上で物事を主張する。
そんな宮沢賢治の考えが覗える。

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わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)
 
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ、または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

けれどもこれら新生代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
(あるひは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史、あるひは地史といふものも
それのいろいろの論料(データ)といつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発堀したり
あるひは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません 

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます 

 大正十三年一月廿日宮 澤 賢 治
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